依存症からの回復

もともとは三男がゲーム障害になってしまったことがきっかけで書き始めましたが、根は深いことに気が付きました。生活の中を通して様々な学び、気づきを書いていきたいと思います。

結局何かに依存している

この頃、人と会うということが活発になってきて、いろいろ感じたりわかってきたことがある。


結局何かに依存しているのは当たり前のことということだ。
たった一人で生きていける人はいない。


よくできる人、あこがれの人、今の状況。何かには依存している。


問題になってくるのは、その依存度合いと、迷惑のかけ度合いだろうか。
それとも、自分のような自律神経が急に調子悪くなる人間にとっては、
どうしようもないことなのか。


教会で入信式を控えた方のための聖書の勉強会に参加した。
本当は今日は休みたいと思ったりもしていた。
昨日、教会で知り合った方とランチをして非常に疲れを感じたからだった。
もう頑張ったからいいんじゃないか。そんな気持ちも横切った。


でも、意を決していくことに。
行って分かったこと。
私も仕事したい、だった。


入信控えた方が、カトリック系の施設で働くことになった。破格の条件。
その方の住んでいるところからは、十分通える場所だった。
ところが、私の住まいからは遠すぎる。


条件はとてもいいのに・・・。
私はいけない。残念だった。
結局妬みだった。
若くてかわいくて、しとやかで、
そんな彼女が愛されて、守られて、自分はどうだろう。


でも、私が前日お会いした方はもっと過酷な環境で生きてこられた方だった。


その方の話しを聞いた以上、自分はどんなに楽をさせてもらってきたかを感じた。
その人としゃべっていると、どんどん吃音がひどくなってきて、どんどんしんどくなってきた。
そんなものを感じさせる人だった。私にとっては。。。


だから、私は私で探すしかない。
自分が天国だと思える環境。職場を。
そうでないなら、そういう風に、作っていかねばならないのだ。


昨日の彼女の過酷な努力の環境に比べれば、どうかと思う。


今日の彼女と会っているときは、むしろリラックスできる。
それがありがたかった。
それでいいではないかと思った。
私は彼女といると心地いい。


こんな人と一緒に仕事をしたいと思う。
いろいろ教えられたいと思う。


ということは、逆に自分はどういう存在かということだった。
自分がどういう人間であるか、
これは結構大事なことだと思った。
どうなりたいかより、心地いい人間かどうか。

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